大判例

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横浜地方裁判所 昭和59年(ワ)1819号 判決

主文

一  被告は、原告富山賢一に対し、金四一二八万五三三六円、原告富山兼忠、同富山春子に対し各金三三〇万円及び右各金員に対する昭和五六年三月四日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告富山賢一に対し八四七六万〇一〇四円、原告富山兼忠、同富山春子に対し各五五〇万円及び右各金員に対する昭和五六年三月四日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告富山賢一(以下「原告賢一」という。)は、原告富山兼忠(以下「原告兼忠」という。)と原告富山春子(以下「原告春子」という。)の夫婦間の長男であり、被告は、肩書住所地で産婦人科医院(以下「被告医院」という。)を開業している医師である。

2  診療契約の締結

原告春子は、これまで妊娠の経験がなかったところ、昭和五五年八月六日自宅近くの訴外長崎医院で妊娠の診断を受け、出産予定日が昭和五六年三月二八日である旨を告げられ、同年二月二三日まで長崎医院に通院していたが、その間、実家近くの医院で分娩したいと考え、昭和五五年一一月一五日被告に対し、その旨を話し、原告兼忠、同春子夫婦と被告との間で出産に関する診療契約が締結された。なお、原告春子は、昭和五六年一月一七日被告医院で定期検診を受けた。

3(一)  原告春子の破水

(1) 原告春子は、昭和五六年二月二五日午前六時ごろ破水したので、同日午前九時ごろ長崎医院で受診した後、被告に電話し、処置について指示を仰いだところ、被告から「そんなに慌てなくていいから、こちらに来なさい。」と言われ、義兄運転の車で被告医院に赴いた。

(2) 原告春子は、同日午後三時ごろ、被告から前期破水と診断され、破水の手当を受けたが、その際、抗生剤を服用し、帰宅後風呂に入り、翌日陣痛が起きたら来院することを指示されたので、実家に戻って、右の指示どおり入浴した。

(二)  原告賢一の出生

原告春子は、翌二六日午前六時ごろ陣痛が起きたので、被告医院に入院し、同日午後一時三二分原告賢一を出産した。原告賢一は、在胎三五週五日で、予定日より約一か月早く出生したため、体重二三三〇グラムの未熟児であったが、同日及び翌二七日は、少し黄疸症状が出ていたものの、普通の状態であった。

(三)  被告医院における診療経過

(1) 原告賢一は、同月二八日ごろから哺乳力が弱く、普通の子に比して元気のない状態であったが、同年三月二日の昼までには、それまでより更に元気、哺乳力がなくなり、黄疸が強くなった(イクテロメーター指数四・〇)。特に、同日正午の授乳時にミルクを殆ど飲まず、少し時間を置いて、それまでの半量位を飲んだが、同日午後四時の授乳時には全く飲もうとしないなど、極端な哺乳力の低下がみられた。そこで、被告は、原告賢一を訴外桜林医院に連れて行き、黄疸の検査を受けさせ、血清ビリルビン値一七・〇ミリグラム/デシリットルの測定結果を得た。

(2) 原告賢一は、翌三日午前零時の検温で三八・五度の発熱が確認された(なお、実際に発熱したのは、右時刻より以前であるが、被告が同原告の厳重な経過観察を怠っていたため、発熱の発見が遅れたものである。)が、被告は、近くの小児科医訴外石田尚之医師に往診を依頼し、同医師に同原告が肺炎に罹患しているかどうかを診察させただけであった。

(3) 被告は、同日、原告兼忠、同春子に対し、同月五日には母子共に退院してよい旨を述べたが、その際、原告兼忠、同春子の両親から、原告賢一がミルクを飲まず、元気なくグッタリしていることなどから同原告の様子が心配であるため、せめて同原告だけでも入院を継続させてくれるように依頼されたにもかかわらず、被告医院が産婦人科であることを理由に、これを断った。そこで、原告兼忠が、他の病院を紹介してもらえないかと懇請したところ、被告は、訴外藤沢市民病院や同神奈川県立こども医療センター(以下「医療センター」という。)があることを告げ、医療センターのパンフレットを渡したものの、入院の必要はないと述べた。しかし、原告兼忠が是非とも入院させて欲しいと重ねて懇請したので、被告は、ようやく原告賢一を医療センターに入院させる手続を取ったが、医療センターに向かう車中においても、原告兼忠に対し、原告賢一の体重が二五〇〇グラムになるまで入院を頼んだもので、何ら心配はない旨を述べた。

(四)  医療センターにおける診療経過

(1) 原告賢一は、同日午後四時ごろ、救急車で医療センターに入院し、未熟児病棟で担当医の訴外渡部創医師の診察を受けたが、同医師は、一見して、原告賢一に、チアノーゼがある、グッタリして元気がない、呼吸があらい、腹がふくれている、足がむくんでいるなどの症状を認め、同原告が感染症に罹患していると診断した。

(2) 原告賢一は、医療センターに入院後、直ちに腰椎穿刺が行われ、培養の結果、翌四日には起炎菌がグラム陰性桿菌であることが判明し、後に、大腸菌であることが確認され、このことから同原告の感染経路が経羊水感染であることが判明した。

(3) 原告兼忠は、同月五日午前八時三〇分ごろ、医療センターから、原告賢一の心臓が止まったので、至急来院するよう連絡を受け、直ちに医療センターへ駆けつけたところ、担当医から、同原告が髄膜炎に罹患しており、大分容態が悪い旨の説明を受け、その後、CT検査の結果、同原告の血液交換が実施されたが、右血液交換の効果も少なく、再度心臓が止まった場合は、機器を使用して心臓を動かすことはしない旨を告げられた。

(五)  原告賢一の後遺障害

原告賢一は、以上の経過により、大腸菌の感染症から髄膜脳脊髄炎に罹患し、その後遺症として四肢麻痺、膀胱直腸障害、精神発達遅滞の症状が残存し、昭和五七年一〇月に右の症状が固定した。

4  被告の診療義務ないし過失

(一) 前期破水に対する処置の懈怠

(1) 前期破水(分娩開始前、即ち規則的な陣痛の発来前の破水)については、それに続いて陣痛の発来をもたらすことが多く、特に、妊娠三七週未満で前期破水が生じた場合には、早期産(在胎三七週未満の出産)となる可能性が大であるため、低体重児の出産の可能性が高いが、早期産児や低出生体重児については、感染を受け易い、全身感染症になり易い、あるいは、感染に対する反応が悪いなどとされている。また、前期破水を放置すれば、二四時間後には組織学的に羊水感染が認められ、前期破水から分娩開始までの時間と周産期(妊娠二九週から分娩後一週間までの間)死亡率とは、強度の相関関係があるから、羊水感染の予防と厳重な経過観察が必要となる。

そこで、前期破水の疑いで妊婦が来院した場合、医師としては、破水の有無を正確に、かつ、無菌的に診断して、妊婦を直ちに入院させ、以後不必要な膣内操作を避けて感染を予防するとともに、羊水の検査等により母児の状態を把握し、これに応じた適切な対症方針を決定しなければならないが、その際、胎児の肺表面活性物質がすでに十分に生成され、胎児が自ら呼吸する能力を備えることにより、子宮外生活に耐えられる場合には、早期に胎児を娩出させて細菌感染を防止することが対症の基本方針とされている。なお、前期破水の症例では、感染予防が最重要課題であって、入浴は絶対に行ってはならず、入浴の是非を問題とするまでもなく、入院のうえ感染予防に最大限の努力をすべきものとされている。

(2) 被告は、昭和五六年二月二五日に原告春子の前期破水を診断し、そのまま放置すれば早期産の可能性が高いことを予見していた。他方、右の診断の時点で、同原告は妊娠三五週四日であったので、胎児の肺表面活性物質が妊娠三四週ないし三五週で増量するとされていることに照らし、胎児が子宮外生活に耐えられる時期であったと判断されるから、被告は、感染を防止するため、同原告を直ちに入院させたうえ、一刻も早く分娩を完了させて感染を防止するため、分娩誘導を行う義務が存した。仮に、同日の診察において破水の事実が確認できなかったとすれば、被告は、同原告を直ちに入院させたうえ、破水の有無を注意深く観察し、破水が確認できた後、直ちに分娩誘導に踏みきる注意義務が存した。

(3) しかるに、被告は、右二月二五日の診察の際、入院しても抗生物質を飲ませて、じっと寝かせているだけなので、入院費がかさむばかりだから、自宅へ帰っても害はないと考え、原告春子を帰宅させ、徒に待期して、破水から分娩まで三一・五時間を経過させたばかりでなく、入浴をも指示して、感染の危険を増大させた。なお、被告は、同日同原告に抗生物質を投与しているが、前期破水に対する母体への抗生物質の予防的投与の効果については、少くとも胎児の感染症との関係ではあまり多くを期待できず、他の感染症対策を不必要とするものではない。

(二) 細菌検索及び厳重な経過観察の懈怠

(1) 原告賢一の出産については、前期破水から娩出まで三一・五時間を経過し、羊水感染の危険があったうえ、その間、被告の指示で原告春子が入浴したこと、在胎三五週五日の早期産であること、二三三〇グラムの低出生体重(二五〇〇グラム未満)児であること等の感染症に罹患し易い因子が存在した。

(2) ところで、新生児、特に未熟児ないし低出生体重児の感染症については、容易に罹患し、すぐに重篤な状態になるうえ、特異的な症状が少なく、早期発見が困難であり、他方、症状が出そろってから治療を開始したのでは、手遅れとなるため、単に症状の発現を待つのではなく、積極的に諸検査を行い、細菌の検出に努めると同時に、何となく元気がない、顔色が良くない、哺乳量が少ないなど、はっきりと病的であるとは言い切れない、注意深く観察していないと見過し勝ちな感染症の臨床症状を厳重に観察することが必要である。したがって、被告は、右(1)記載の因子が存する以上、たとえ感染症に直ちに結びつく具体的な症状が原告賢一に認められなかったとしても、同原告の出生時から、母児や胎児付属物について細菌検出のための諸検査を行うとともに、原告賢一の厳重な経過観察をするか、被告医院では右の諸検査や経過観察が不可能であれば、直ちに新生児集中治療施設等医療設備の整った病院に同原告を転院させる注意義務があった。

(3) しかるに、被告は、右(1)記載の因子について何ら特別の配慮をせず、原告賢一の出生から昭和五六年三月二日正午までの間、羊水や母児について細菌検索のための何らの検査も行わず、毎日一回の通常の新生児に対するのと同様の観察を行っただけで、厳重な経過観察をせず、また、医療設備の整った病院に同原告を転院させることもしなかった。

(三) 治療開始の遅れ

(1) 原告賢一は、昭和五六年三月二日の昼までには、それまでに比べ、一層元気や哺乳力が低下して黄疸が強くなり、更に、翌三日午前零時には三八・五度の発熱が確認されたが、これらは、いずれも新生児感染症(敗血症、髄膜炎、肺炎等)の初発症状である。

(2) 被告は、原告賢一が破水後三一・五時間を経過し、在胎三七週未満の早期産、かつ、二五〇〇グラム未満の低出生体重で娩出されたという、感染症に罹患し易い因子を持つのであるから、同原告の感染症については最大の注意を払う義務が存したところ、右(1)の何となく元気がない状態、哺乳力の低下、黄疸の各症状を認めた同月二日の昼の時点で、敗血症、髄膜炎等の感染症を疑い、直ちに、血液採取、腰椎穿刺、膀胱穿刺等により検体を採取して、その検査を行なうとともに、後遺症のない治癒のため早期に治療を開始する必要があるから、右の検体採取と同時に、検査の結果を待たず、一刻も早い強力な抗生物質療法(病原菌が判明するまでは、アミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンを併用し、経静脈的に投与するのが原則である。)を開始する義務がある。また、発熱が確認された同月三日午前零時ごろには、同原告にとって緊急を要する事態であったのであり、右の検査、治療を開始する義務が一層強く認められる。

(3) なお、被告自ら右の検査、治療を行うか、新生児集中治療施設等の医療設備の整った病院に転院させて行うかは、被告が判断すべき事柄であるが、昭和五六年二月当時には、神奈川県内においても、医療センターを含め、新生児集中治療施設を備えた相当数の病院が存在し、高度の新生児医療がなされる体制が備わっており、このような体制の下では、被告のような開業医に対して期待される役割は、新生児集中治療施設で管理されるべき新生児を適切に見分けて、時期を失することなく、転院の手配をすることである。そして、原告賢一は、前記のような感染症に罹患し易い要因を持ち、何となく元気がない、哺乳力がない、黄疸が強いなどの症状を呈し、新生児集中治療施設に収容されるのが相当な新生児であったのであり、また、そのような新生児を受け入れる病院の側でも、新生児医療は依頼があれば断らないのを原則とし、現に医療センターにおいては、時間外でも医療機関から紹介があれば、ケースバイケースで可能な限り対応する救急体制をとっていたのであるから、本件のような新生児感染症の場合の転医を考えるにあたって、夜間とか休日であることも考慮する必要はないというべきである(なお、神奈川県が事業主体となって、昭和五六年度から開始した新生児救急医療体制は、既存の新生児集中治療施設と地域医療機関との連携をより円滑にするために作られた制度であり、昭和五六年二月当時は、右制度が発足する以前であったが、発足後との違いは地域医療機関が直接受入病院を探し、自ら搬送態勢を手配する必要があったことにすぎない。)。

(4) しかるに、被告は、原告賢一が出生時に有していた、右(1)の感染症に罹患し易い要因について、何ら特別の配慮をせず、昭和五六年三月二日の昼までに現われた右(1)の各症状を認識しながら、新生児感染症に対する理解が不十分であったため、右各症状を感染症の初発症状と考えなかったばかりか、同日午後四時ごろ同原告の血清ビリルビン値の測定の結果、一七・〇ミリグラム/デシリットルの数値が出たにも拘らず、単に生理的黄疸の上限と考え、感染症等の基礎疾患を疑わず、直ちに右(2)の検査、治療を開始しなかった。更に、翌三日午前零時同原告の発熱を確認した後、石田医師に往診を依頼し、聴診と反射の検査から同原告が肺炎に罹患していないという同医師の診察結果に安心し、その後同日午後四時ごろ同原告を医療センターに転院させるまで、抗生剤シロップの経口投与とチカルペニンの筋注投与を行っただけで、他に何らの治療もしなかったが、右のシロップの経口投与は、重症感染症に対する強力な抗生物質療法には程遠いといわなければならないし、チカルペニンの投与は、発熱確認後一一時間も経過した同日午前一〇時四〇分にしたもので、遅きに失するというべきである。

(5) ところで、原告賢一は、医療センターにおいて、当初、同原告の血性髄液から培養された病原菌の耐性検査で感受性が認められたアミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンが投与されたが、その効果が十分でなく、同月六日に至り、ホスミシンが投与され、それが効果を表し、救命に結び付いたと思われる。他方、同原告は、同月三日の医療センター転院直後、渡部医師の連日にわたる腰椎穿刺によっても血性の髄液のみしか採取できなかったこと、また、後日、脳断層撮影の結果、脳膿瘍の存することが確認されていることから、転院時には、既に脳膿瘍に罹患していたものと考えられる。したがって、同原告に対し、アミノベンジルペニシリン、ゲンタマイシンの効果が十分でなく、組織の奥深くまで浸透するホスミシンが効いた理由は、治療開始の遅れにより、同原告の感染症が脳膿瘍にまで進展してしまったためであるから、アミノベンジルペニシリン、ゲンタマイシンによる治療であっても、適時に開始されていれば、同原告の後遺症が発生することはなかったものである。

5  被告の責任

(一) 不法行為責任

被告は、右4記載の過失により原告賢一を髄膜脳脊髄炎に罹患させたのであるから、民法七〇九条に基づき、その結果原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

(二) 債務不履行責任

被告は、原告兼忠、同春子との間の右2記載の診療契約に基づき、原告春子、同賢一の容態を医学的に解明し、異常を認めた場合には、それに対応した適切妥当な処置をする債務があるのに、右4記載のとおり右債務の履行を怠り、原告賢一を髄膜脳脊髄炎に罹患させたのであるから、その結果原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

6  損害

(一) 後遺症の程度

原告賢一は、右3(五)記載の後遺障害のため、首もすわらず、寝たきりの状態で、自ら起立、歩行することができないなど、四肢の麻痺により日常の起居動作も不可能であり、また、極度の精神発達遅滞により言葉を話すことができず、排尿排便については、膀胱直腸障害により自力で最後まで排泄することができず、両親が下腹部を押して出してやるなどの補助を要する。したがって、同原告は、将来にわたり、食事、着換え、入浴、排泄、通学等に常時一人又は二人の介護を要する状態にある。

(二) 逸失利益

原告賢一は、右の後遺症により労働能力の全部を喪失したものであるが、右の後遺症がなければ、満一八歳から満六七歳まで、昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表男子労働者学歴計全年齢平均による年間収入三七九万五二〇〇円を得られるはずであるから、ライプニッツ方式により中間利息を控除して、その逸失利益を算定すると、次の算式のとおり二八六四万九九六四円になる。

3,795,200×7.549=28,649,964

(三) 介護費用

原告賢一は、右の後遺症により終生両親若しくはその他の者の介護を要するところ、昭和五六年の簡易生命表によれば、零歳男子の平均余命は七四歳であり、また、その介護費用は、一日当り四〇〇〇円を下回らないから、全介護費用の現価をライプニッツ方式により算定すると、次の算式のとおり二八四一万〇一四〇円になる。

4,000×365×19.459=28,410,140

(四) 慰謝料

原告賢一は、右の後遺症により正常人としての社会生活を営むことができず、多大の精神的苦痛を受けたが、その精神的損害を金銭に評価すれば、二〇〇〇万円を下ることはない。

また、原告兼忠、同春子は、同賢一の両親であり、今後その一生を同賢一の介護等に費やし、かつ正常な子を持つ親の苦楽を味わうことができず、精神的苦痛を受けた。原告兼忠、同春子の精神的損害を金銭に見積れば、各五〇〇万円を下回ることはない。

(五) 弁護士費用

原告らは、被告が右損害の賠償をしないので、やむなく原告ら訴訟代理人らに本訴の提起及び追行を委任したが、弁護士費用として原告賢一が負担すべき七七〇万円、同兼忠、同春子が負担すべき各五〇万円は、本件不法行為又は債務不履行と相当因果関係のある損害である。

7  よって、選択的に不法行為又は債務不履行による損害賠償請求権に基づき、被告に対し、原告賢一は八四七六万〇一〇四円、同兼忠、同春子は各五五〇万円及びこれらに対する不法行為又は債務不履行の日の後である昭和五六年三月四日から各支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1のうち、原告賢一が原告兼忠、同春子間の長男であることは不知。その余の事実は認める。

2  請求原因2のうち、昭和五五年一一月一五日、被告が原告春子を被告医院で初診した際、長崎医院で受診し、昭和五六年三月二八日が出産予定日と言われたが、同原告の実家が近いので、分娩時は被告医院に入院を希望するとのことで、右初診の日に、被告との間で入院、出産に関する診療契約の予約がなされたこと、同原告が昭和五六年一月一七日にも被告医院で診察を受けたことは認めるが、同日の診察が定期検診であったことは否認する、その余の事実は不知。

3(一)  請求原因3(一)について

(1) 同(1)のうち、原告春子が、長崎医院で受診後、被告に電話して処置について指示を仰ぎ、被告から「そんなに慌てなくてもいいから、こちらに来なさい。」と言われたことは否認する、義兄運転の車で被告医院に赴いたことは不知。被告は、原告春子から、昭和五六年二月二五日午前六時自宅で破水した旨の電話があったので、長崎医院で診察を受けて指示を仰ぐよう伝えたところ、同医院で受診した後、「直ぐ被告医院に行く。」との電話があったものである。

(2) 同(2)のうち、原告春子が同日午後二時四〇分ごろ被告医院で診察を受け、破水の手当を受けたことは認めるが、被告から指示を受けた内容の点は否認する。被告は、「実家に帰って風呂に入り、翌日あるいは陣痛が起きたら来なさい。」と指示したものである。同原告が被告の指示どおり入浴したことは不知。

なお、厳密な意味での破水か否かの診断は医学的に難しく、被告は、同原告が前期破水であるか否かの確定診断をしていない。同原告は、被告医院来院前、破水感があったため長崎医院で受診しているが、特に異常が認められなかったため、前期破水についての特別の処置はされていないし、被告医院来院時には、羊水の漏出がなく、子宮口開大二センチメートル位であり、これは普通の妊娠三五週の状況であって特に異常ではなく、破水の確認ができなかった。しかし、長崎医院の診断で破水としている事実を積極的に無視するのは妥当でないので、果して破水であったか否かには疑問を持ちつつ、前期破水を前提として抗生剤を投与し、破水を念頭に入れて治療したものである。

(二)  請求原因3(二)のうち、原告賢一が未熟児であったことは否認するが、その余の事実は認める。未熟児とは、胎外生活に適応するのに十分な成熟度に達していない未熟徴候を備えた新生児の総称であり、同原告は、野呂の多元的成熟度評価法により観察すると、三〇点満点中二九点で、殆ど成熟しており、二五〇〇グラム未満の低出生体重児ではあるが、未熟児ではなかった。

(三)  請求原因3(三)について

(1) 同(1)のうち、原告賢一が、昭和五六年二月二八日ごろから哺乳力が弱く、通常の子に比して元気のない状態であったが、同年三月二日昼までには、それまでより更に元気、哺乳力がなくなり、黄疸が強くなったことは否認する、被告が同原告を桜林医院に連れて行き、ビリルビン値を測定したところ、血中濃度が一七ミリグラム/デシリットルであったことは認める。なお、被告は、同年三月二日午後から同原告の哺乳力が減退し、黄疸がやや強くなったことから、桜林医院で黄疸の精密検査をした(被告のような個人医院では、すべての精密検査を行う機器を備えることは不可能なため、桜林医院には黄疸検査の精密検査機器を備えてもらって、相互に利用し合っていた。)ものであり、また、同原告は、同日夜から翌三日の医療センター転院時まで元気であった。

(2) 同(2)のうち、同年三月三日午前零時原告賢一に三八・五度の発熱があったので、被告が近くの小児科医石田医師に往診を依頼し、同原告に同医師の診察を受けさせたことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、原告は発熱の発見が遅れた旨主張するが、発熱した場合、新生児の顔は赤くなり、触れてみれば身体も熱くなっているから、検温をしなくても発熱を見逃すことはない。

(3) 同(3)の事実は否認する。

なお、被告が、出産直後に、三月五日ごろ退院できるでしょうと原告夫婦に述べたことはある。また、被告は、原告賢一が昭和五六年三月三日午前八時になっても下熱せず、哺乳力もないため、入院依頼をしようと考え、原告夫婦に対して、藤沢市民病院小児科、医療センター、北里大学小児科、虎の門病院小児科を説明し、医療センターについては県外の人には分りにくいと考えて、パンフレットまで見せて説明したところ、原告らが医療センターを第一希望としたので、新生児内科の後藤部長に直接入院を依頼し、午前一一時過ぎに漸くベッドの都合をしてもらい、区域外への救急車出動の特別許可を受けたうえ、原告賢一を入院させたが、その際、医療センターへ向かう車中で、新生児は、軽快退院の場合に三〇〇〇グラムになるのが普通であるが、日本の現状からは二五〇〇グラムで退院を要請されることが多く、その場合は、県下の重症児を収容する必要がある時なので、要請に従ってもらいたい旨を話したものである。

(四)  請求原因3(四)について

(1) 同(1)のうち、原告賢一が昭和五六年三月三日救急車で医療センターに入院し、新生児内科病棟で診察を受けたことは認めるが、渡部医師が一見して同原告を感染症であると診断したことは否認する、その余の事実は不知。

(2) 同(2)のうち、渡部医師が昭和五六年三月三日原告賢一の腰椎穿刺を行い(但し、血性で、しかも少量の髄液しか採取できなかった。)、翌四日に髄液検査の結果グラム陰性菌と判り、その後、髄液の培養検査によって大腸菌が検出されたことは認めるが、同原告の感染経路が経羊水感染であることは争う。感染経路については、医療センターにおける腰椎穿刺が原因になって細菌感染を起こし、髄膜炎を発症させたと考える余地がある。即ち、渡部医師は、同月三日の穿刺に失敗しているが、現在の医療において穿刺の際の細菌感染を完全に防止する方法はなく、医療センター入院後三日で同原告の症状が急変したことは、穿刺に失敗した際に細菌感染を招いた可能性を疑わせるに十分である。

(3) 同(3)の事実は不知。

(五)  請求原因3(五)の事実は不知。

4(一)  請求原因4(一)について

(1) 同(1)は争う。前期破水と新生児の感染症発症との関係については、その間に相関はみられなかったとする研究も存する。また、前期破水であることから直ちに妊婦を入院させるべき注意義務はない。破水後の時間、胎児の大きさ、在胎週数によっては、入院させる必要があるが、原告賢一の場合についていえば、開業医の一般は必ずしも入院させず、陣痛を待って入院させるのが、当時の開業医の医療水準であった。入浴については、妊婦は、妊娠末期になると痔とか脱肛になる人が過半数を占め、腹が非常に大きくなり、排便、排尿時の始末が困難になるため、しばしば会陰、肛門周囲の清潔を欠く人が多く、そのため妊婦に入浴を指示しているのであり、入浴しても膣内に湯が入らないことは、研究により明らかにされている。成書やパンフレットに破水時の入浴はしないように書かれているのは、銭湯に入るとか、地域によって女性が最後の風呂に入るなど、汚れた湯に入ることの危険があるからであって、清潔な風呂に入ることによって細菌に感染する危険は殆どない。

(2) 同(2)は争う。前期破水を起した殆どの症例では、破膜部位が再閉鎖することなく胎児娩出まで羊水漏出がみられ、多くは破水後自然に陣痛が発来して、胎児が娩出される。破膜後二四時間以内に自然陣痛が発来する頻度は、八〇ないし九〇パーセントとされており、前期破水の症例においては分娩時間が短縮することも多く、分娩誘導の必要はないのが通常であるだけでなく、誘発分娩は胎児のみならず母の生命をも危険に陥れる可能性があるので、十分注意が必要とされている。また、在胎週数が三六週以後であれば分娩誘導も考えるが、三五週以前では胎児肺胞表面に表面活性物質が不十分であることもあるので、胎児の発育を待つとする者もある。分娩誘導は、頸管成熟が不十分な場合、胎児の成熟が不十分な場合には避けるべきであるとされているもので、本件の場合もこれに該当することが明らかである。前期破水時における分娩誘導の適応は、通常破水後二四ないし四八時間以内に自然胎児娩出を来すことが多いが、胎児が成熟して、かつ、分娩が開始しない場合、あるいは、破水後二四時間を経過しているとき、母体が三八度以上の発熱をしているとき、羊水に悪臭があるとき、胎児心拍数が子宮収縮の間欠期に一八〇回/分以上を示す頻脈が持続するときなど、胎児感染を疑わせる徴候がある場合であるが、原告春子は、破水後二四時間して陣痛が発来し、分娩が開始したうえ、右のような胎児感染を疑わせる徴候もなかったのであるから、分娩誘導の適応にはなかったものである。

(3) 同(3)の被告の過失は否認する。

被告は、徒に待期的療法に頼っていたものではなく、予防的化学療法を強力に行いながら異常がないかぎり待期していたのであり、母児の感染防止に最大限の努力をした。即ち、前期破水後二四時間を経過すると羊水感染の可能性があるので、被告は、感染予防として合成ペニシリンアモキシリン(クラモキシル)一日一グラム、三日分を原告春子に投与し、感染防止を図った。右投与量は予防としては多量であって、治療量に該当する量である。前期破水の症例では、破水と同時に母体にはアミノベンジルペニシリン等を投与することが原則とされているが、アミノベンジルペニシリンは、グラム陰性桿菌の主として大腸菌に有効で、胎児や羊水中にも移行し、胎児に副作用が少ないとされており、第一に選択されるべき抗生物質であるが、右クラモキシルはアミノベンジルペニシリン剤である。その結果、原告春子は、入院から退院まで一度の発熱もなく、入院中の血液検査でも白血球数等すべて正常値を示しており、細菌感染が防止されている。

また、被告が入浴を指示したのは、診察時、原告春子に脱肛があり、朝自宅で排便したときに紙でよく拭き取れず、便が肛門周囲に付着していたため、膣と外陰部を洗浄消毒したが、その後も排便により肛門周囲に便が付着し、これが膣口から侵入することにより大腸菌の感染の危険が多いので、自宅に帰ってから清潔な風呂に入浴して肛門部、外陰部を清潔にしておくよう指示したものであり、かつ、抗生剤を投与した後の指示であるから感染予防の処置はしており、一般に風呂は厳禁であるとの一般論は、本件には当てはまらない。前述のとおり清潔な風呂に入ることによって細菌が感染する危険は殆どなく、むしろ外陰部に便が付着しているような状態から膣内に細菌が侵入する危険の方がはるかに多い。原告賢一の髄液の培養検査によって大腸菌が検出され、膣内に便が入り大腸菌が混入したと推定されているが、これは入浴によって感染したのではなく、膣口の不潔から便が膣口に入って、上行感染を起こしたものと解される。

(二)  請求原因4(二)について

(1) 同(1)は争う。原告賢一は、低出生体重児であるが、前述のとおり多元的成熟度評価法によれば殆ど成熟していて、未熟児ではない。また、低出生体重児とはWHOの定義で二五〇〇グラム未満の新生児を言うが、右の基準は身体の大きな西欧人を基準にしており、日本人の場合は西欧人に比して身体が小さいので(とくに原告春子は小柄である。)、二三三〇グラムあれば感染のリスクの高い新生児とは言わないし、一般の開業医は、二〇〇〇グラム以上あればそれのみをリスクとして扱っていない。

(2) 同(2)は争う。原告春子は、破水後二四時間以内に陣痛が発来し、発熱もなく、羊水の混濁、悪臭、胎児の心拍数異常等の感染症を疑わせる徴候はなかったのであるから、羊水を採取して細菌の検索をすべき状況にはなかった。徒に羊水を採取することは、かえって細菌感染の機会を与えるものであって禁忌ですらある。また、原告賢一の体表からの細菌検索についても、同原告が未熟児ではなく、感染症を疑わせる徴候を有していなかったのであるから、被告は右の細菌検索義務も負っていなかった。

(3) 同(3)の被告の過失は否認する。

低出生体重児の看護の四原則として、安静、保温、栄養、感染予防が挙げられているが、被告は、体温コントロール、体重減少の防止、面会人等大人からの雑菌感染の防止のために、原告賢一を保育器に入れ、湿度、温度をコントロールして発汗等による体重減少を少なくし、同原告を厳重に監視していた。また、同原告を保育器に入れておく必要性について原告夫婦に十分説明を行ったうえ、更に、二五〇〇グラム以下の出生児は小児科の未熟児病棟で保育するのが理論的には原則であるので、もし希望するのであれば小児科への転院を取り計らうよう転入希望先の病院にも聞いてみる旨を伝えたが、現状では新生児、未熟児病棟のある病院が少ないうえに、ベッド数も限りがあり、すべての希望には殆ど応じられず、二〇〇〇グラム以上の新生児は余程の重症でない限り収容してもらえる病院がなく、特に予防上の入院は無理なことが多いことを説明したところ、原告夫婦は被告医院で引き続き保育することを依頼する旨を述べた。

(三)  請求原因4(三)について

(1) 同(1)のうち、原告賢一が昭和五六年三月二日の昼までに元気や哺乳力が低下し、黄疸が強くなったことは否認する。同原告は、同日午後から哺乳力が低下し、黄疸がやや強くなったものであり、翌三日医療センターに転院する前には、元気であった児が何となくおかしい、顔つきが悪いなどの症状は認められなかった。仮に、同原告が同月二日に元気でなくなったとしても、同日夜から翌三日には元気であったのであり、人間の身体はその時々に変化するものであるから、少々元気でなくなったものが元気になっても、あるいは、その反対でも不思議ではない。

(2) 同(2)のうち、被告が原告賢一について、同月二日昼の時点で、何となく元気がない状態、哺乳力の低下、黄疸の各症状を認めたことは否認するが、その余の点は争う。新生児の細菌感染症については、感染症を早期に疑診し、早期に治療するのが最上の方策であるが、現在のところ全面的に信頼できる検査法はないから、経過を観察する以外に方法はない。また、血液検査や腰椎穿刺は、新生児にとってかなりの負担であって、みだりに行うべきでない。殊に、産婦人科医にとって腰椎穿刺は技術的に難しいし、髄腔内が狭いので出血させることが多い。現に、渡部医師も同月三日の原告賢一の腰椎穿刺に失敗し、血性でしかも少量の髄液しか採取できなかったもので、新生児の腰椎穿刺が技術的に難しいことは明らかであり、医療センターにおいても、産科、小児科を問わず、開業医の医師が腰椎穿刺をして患児を連れてくることは殆どないといわれている。更に、腰椎穿刺の危険も予想されるところであって、本件においても腰椎穿刺が原因となって細菌感染を起こし、髄膜炎を発症させたと考える余地があることは、前述のとおりである。

(3) 同(3)は争う。昭和五六年二月当時は、神奈川県衛生部による新生児救急医療システムが発足する以前であり(右システムが発足したのは同年六月である。)、小児科専門医のいる病院への入院は容易でなかった。

(4) 同(4)の被告の過失は否認する。

被告は、昭和五六年三月二日午後から原告賢一の哺乳力が低下し、黄疸がやや強くなったことから、桜林医院で黄疸の精密検査をし、ビリルビン値を測定したところ、血中濃度が一七ミリグラム/デシリットルであったが、桜林医師とも相談のうえ経過をみることにした(なお、一九ないし二〇ミリグラム/デシリットル以上では原因検索と治療のため新生児専門施設に相談し協力を得ることという産婦人科医に対する指導もある。)。そこで、被告は、同原告の全身状態を慎重に観察していたところ、同日夜になっても哺乳力が殆どなく、翌三日午前零時に三八・五度の発熱をみたので感染症を疑い、産婦人科医である被告が診察するよりも、小児科の専門医が診察するのが最善であると考え、かねて知り合いの小児科専門医である北里大学小児科教授石田医師に同日午前一時に被告医院まで往診を依頼し、同原告にその診察を受けさせた。石田医師も感染症、特に髄膜炎を起こしていないかについて、同原告の反射、筋肉の亢進等を慎重に調べ、反射に異常はなく、筋肉の亢進もないこと、比較的元気であること等を診察し、発熱、黄疸、哺乳力の低下以外に他覚的所見はなかった(髄膜炎の徴候は、もちろんなかった。)ので、入院の必要を認めず、抗生物質の内服投与と水分の補給を行って経過観察することを被告に指示した。被告は、即時アセチル・ロイコマイシンシロップを内服投与し、抗生物質の中でペニシリン系最新のチカルペニン一〇〇ミリグラムの筋注をし、水分補給を行って、強力な抗生物質療法を実施した。同日午前八時になっても同原告が下熱せず、哺乳力もないため、被告は、原告夫婦に入院先病院の説明を行う一方、午前九時の公立病院の始業と同時に入院の手配を行ったところ、運よく医療センターに原告賢一を入院させることができたものである。

前述のとおり、新生児感染症については、現在のところ全面的に信頼できる検査方法がなく、早期に疑診する外は、経過を観察する以外に方法はないのであり、すべての病気においてそうであるが、疾病についての診断は、原則として経過観察によることが多いのであって、症状がはっきりとしてきて万人が診断可能な徴候が出る以前においては、結果からみればその疾患の徴候であっても、診察時には即断し難いものなのである。右にみたとおり、被告が感染症を疑い、小児科専門医の石田医師に診察を依頼し、その際、発熱、黄疸、哺乳力の低下以外に他覚的所見がなかったが、感染症を疑って抗生剤の投与を始めたのは、早期に疑診し、早期に治療を開始したものであって、決して漫然と感染症の徴候を見過したものではない。

また、原告賢一の一般状態が同月二日以降急激に増悪したことはなく、同日夜から翌三日にかけては元気であったし、医療センター転院時においても元気でモロー反射があり、また、医療センターの医師は、同原告の家族に対し、元気も比較的よいので、今のところ命にかかわることはないと思う旨を説明しているのであるから、転医の時期が遅れた過失も存しない。

(5) 同(5)のうち、適時に治療が開始されていれば原告賢一の後遺症が発生しなかったことは否認する、その余の点は争う。

医療センター転院後同原告に投与された薬剤も、被告が投与した抗生剤と同系列のアミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンであったが、同原告の感染菌には効果がなかった。昭和五六年三月五日午前五時同原告に痙攣発作が発症して症状が増悪した後に、当初の抗生物質が効かず、ホスミシンとセハメタゾンに替えて漸く有効であったものである。同原告の感染症が脳膿瘍を合併した脊髄炎という難治疾患であり、また、感染菌が普通の治療では効果がなく、医療センターが新生児の専門機関として全力を挙げても、ホスミシンを投与するまで三日間を要していること等から、一日早く転院させていれば、結果が変ったとはいえない。

5  請求原因5(一)、(二)は、いずれも否認する。

6  請求原因6のうち、(一)の事実は不知、(二)ないし(五)は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1のうち、原告賢一が原告兼忠、同春子夫婦間の長男であることは〈証拠〉により認められ、その余の事実は当事者間に争いがない。

二  先ず、原告春子の妊娠から原告賢一の身体障害発生までの経過についてみると、当事者間に争いのない事実と〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告春子(昭和二〇年四月一一日生)は、昭和四七年四月二日原告兼忠と婚姻し、これまで妊娠の経験がなかったところ、昭和五五年八月六日、自宅近くの長崎産婦人科医院(埼玉県鴻巣市所在)で妊娠の診断を受け、最終月経第一日の同年六月二一日から算定した分娩予定日が昭和五六年三月二八日とされた。原告春子は、同年二月二三日まで長崎産婦人科医院に通院していたが、その間、神奈川県藤沢市辻堂にある同原告の実家近くの病院で分娩したいと考え、昭和五五年一一月一五日、被告に対し、その旨を話して分娩時の入院を申し入れ、被告もこれを了承して、同原告を診察した。その後、同原告は、昭和五六年一月一七日にも被告の診察を受けた。

2  原告春子は、同年二月二五日午前六時ごろ、用便に際して異常な感じがあり、破水ではないかと思って、同日午前九時ごろ長崎産婦人科医院で内診を受けたところ、医師から破水であるから、直ぐに被告医院に行き入院するよう指示されたので、被告に対し、電話でその旨の連絡をしたうえ、義兄運転の車で被告医院に赴き、同日午後二時四〇分ごろ被告の診察を受けた。被告は、同原告から右の経過を聴取し、自らも内診したところ、外子宮口が一ないし一・五指(二ないし三センチメートル)開大で、下行部が児頭であることを確認し、いくらか血の混った水性の帯下の流出を認め、長崎産婦人科医院の診察結果とも総合して、これを羊水の流出と判断し、前期破水の診断をしたが、その際、同原告の肛門と会陰の間に便が付着し、感染を生ずる虞があったため、外陰部を洗浄したうえ、感染予防の目的でクラモキシルを一日一グラムとして三日分与え、陣痛が起きたら来院すること、入浴して外陰部を清潔にすること等を指示し、同原告を帰宅させた。同原告は、実家に戻り、他の家族に先立って、被告の指示どおり入浴した。

(被告は、右診察時に、同原告が破水したかどうか、確実には解らなかった旨供述するが、同原告が長崎産婦人科で破水と診断されたことは右のとおりであり、また、〈証拠〉によれば、前期破水を生じた場合、通常二四ないし四八時間以内に自然胎児娩出を来たし、破水後二四時間以内に自然陣痛が発来する頻度は八〇ないし九〇パーセントとする者が多いとされていることが認められるところ、同原告は、現に、後記のとおり翌二六日午前六時ごろには陣痛が発来して分娩が開始し、原告賢一を娩出していることに照らし、原告春子が同月二五日に破水したことを認めることができ、更に、前記のとおり被告は、右の診察の際、破水を確認するための何らの措置もとらず、かえって、破水を前提として感染を予防するため抗生物質を原告春子に投与していること、被告医院の同原告の看護記録(一部カルテを兼ねる。〈証拠〉)には、産科異常の欄に前期破水と明記されていること、後記のとおり、被告は、原告賢一を医療センターに転送した際、右センターの担当医師に前期破水である旨を説明していること等に照らせば、被告の右供述は信用することができない。

また、原告春子は、右診察の際、被告から肛門周囲が汚れているので、入浴して清潔にしておくよう指示された覚えがない旨供述し、被告医院のカルテその他の記録中にも、同原告の脱肛の所見等に関する記載は見当らないが、同原告の供述によっても入浴は被告の方から言い出されたというのであり、他に入浴を指示する格別の理由も窺えないので、同原告に脱肛があったかはともかく、前記のとおり、被告は、同原告の肛門周囲に便が付着していたため、入浴を指示したものと認めるのが相当である。)

3  原告春子は、その後新たに破水を感ずることもなく、同月二六日午前六時ごろ陣痛が始まったので、同日午前一〇時二〇分ごろ被告医院に入院した。被告は、同原告を内診し、外子宮口が三指(約六センチメートル)開大であること、卵膜がなく直接児頭に触れること、羊水の流出がないこと等を確認した。同原告は、同日午前一〇時三〇分ごろ分娩室に入った後、同日午後一時三二分原告賢一を娩出したが、その際、羊水の混濁はなく、その他、分娩の経過自体には格別異常が認められなかった。原告賢一は、在胎週数(算定胎齢)三五週五日で出生に至り、出生時体重は二三三〇グラムであったが、被告は、同原告の出生直後の状態をアプガースコアによる採点で八点と評価し(右採点の具体的内容は明らかでない。なお、〈証拠〉によれば、同原告は、出生当日の観察において皮膚の色が蒼白で、チアノーゼがあったことが認められる。)、母児や胎児附属物について細菌検出のための検査を行わなかった。

4  原告賢一は、同月二七日午前零時ごろ糖水一〇立方センチメートル(以下「シーシー」という。)を飲んだ後、同日午前四時ごろ最初の授乳によりミルク一〇シーシーを飲み、以後、毎日午前零時、同四時、同八時、正午、午後四時、同八時の六回に分けて授乳されていたが、同年三月一日までは、一回の授乳時に、多い時で六〇シーシー、少ない時で二〇シーシー、概ね四〇シーシー前後を飲み、全体として次第に哺乳量が増加していた。また、看護婦が、毎日一回午前中に同原告を沐浴させ、その前後に検温や全身状態の観察を行い、その結果を授乳量とともに児表と称する看護記録(一部カルテを兼ねる。〈証拠〉)に記録した。右のような同原告に対する看護の方法は、被告医院における新生児に対する通常の取扱と何ら異ならないものであった。

(被告は、同原告の出生直後から、体重が少なく、抵抗力が弱いため、感染の予防と発汗による体重の減少防止の目的で、同原告を保育器に入れた旨供述するが、〈証拠〉によれば、被告医院のカルテ、児表等の記録中にはそれに関する記載がないこと、同原告が保育器に入れられたのは、同年三月二日深夜石田医師の往診があったころである旨の〈証拠〉に照らして、被告の右供述は信用することができない。)

5  原告賢一は、原告春子が、同年三月一日昼に授乳した際、ミルクを飲む力が弱いように感じられたほか、出生後から同月一日までは、格別異常な症状が認められなかった。同月二日午前一〇時ごろの観察で、看護婦は、イクテロメーターにより同原告の黄疸の指数を四・〇と判定し(同日以前の右指数は、同年二月二七日が一・五、翌二八日及び三月一日が各三・〇であった。)、哺乳力及び元気についても何らかの異常を認めて、児表の該当欄にそれぞれ「+-(プラスマイナス)」を記載するとともに(児表の哺乳力及び元気の各欄の従前の記載は、同年二月二六日から同年三月一日までいずれも「+」であった。)、少し黄疸が強い旨被告に報告し、被告もこれを確認した。また、原告賢一の同月二日の授乳の状況については、同日午前零時及び同四時に各四〇シーシー、同八時に五五シーシーを飲んだものの、同日正午に絞った母乳を哺乳びんで与えようとしたところ、口にくわえず、三〇分後にミルクを混ぜて強制的に飲ませたが、三〇シーシーを飲んだに止まり、同日午後四時の授乳時には全く飲まず、具合が悪そうだったので、再び看護婦が被告に連絡をした。被告は、同原告の黄疸が強く、哺乳力も低下したので、そのころ、同原告を近くの桜林医院に連れて行き、血中ビリルビン量を測定したところ、一七・〇ミリグラム/デシリットルの測定結果を得たが、桜林医師とも相談のうえ、右測定値が生理的黄疸と病的黄疸の境界域にあると考え、発熱や痙攣が認められないことから、もう暫く同原告の様子を見ることにした。

(被告は、原告賢一の児表の三月二日の哺乳力及び元気の各欄の記載が、同日午前中の観察で一旦「+」と記載した後、午後になって哺乳力、元気が低下したため、「-」を書き加えたものである旨供述するところ、前掲乙第一一号証によれば児表に記載された「+-」の形体から、「-」を後で書き加えたものと見るのは困難であって、右供述自体は、信用することができないが、同日の午前中の哺乳量は先に見たとおりであり、〈証拠〉(原告春子の日記)の同日欄にも、朝割とミルクを沢山飲んでくれてよかったと思ったのに、昼と午後は全く飲もうとせず、心配である旨の記載があることが認められるから、右各欄の「+-」の記載が同日正午以後になされた疑いがないではない。しかし、前記のとおり午前中の観察結果に基づいて児表の記載がなされるのが通例であるうえ、同日の黄疸の計測が午前一〇時ごろにされたことは被告も自認するところ、右計測とは別の機会に他の身体状態の観察が行われたと考えるのは、不自然であること右児表の記載が看護の専門家によりされたことを合わせ考えると、前記のとおり三月二日午前一〇時ごろの観察において、看護婦が、哺乳量のみでなく、その飲み方等をも考慮し、原告賢一の哺乳力、元気の各欄に、前日までの「+」とは異なり、「+-」と記載すべき何らかの異常を認めたものと認めるのが相当である。)

6  その後も、原告賢一は、同月二日午後八時に一〇シーシーしかミルクを飲まず、翌三日午前零時の授乳時には全く飲まなかったばかりか、三八・五度の発熱が認められた。被告は、同原告の体重が少ないこと、黄疸が強いこと、発熱したこと等から感染症を疑い、小児科専門の病院に転院させる必要があるかもしれないと考え、近くに住む小児科専門医で、北里大学医学部客員教授を勤める石田尚之医師に往診を依頼した。同医師は、同日午前一時ごろ被告から同原告の状況を聞いたうえ、聴打診や各種の反射の検査を行うなどして、同原告の症状を診察したが、結局、緊急に転院させる必要はないと考え、もう暫く様子を見、発熱は哺乳力の低下による水分の不足から生じた可能性があるため、一ないし二時間毎に水分を強制的にでも補給するとともに、予防のため抗生物質を経口的に与えるよう被告に指示した。

そこで、被告は、脱水予防のため同原告を保育器に収容したうえ、同日午前一時糖水一〇シーシー、同二時糖水五シーシー、同四時糖水一〇シーシー、同五時糖水二〇シーシー、同六時糖水一〇シーシー、同八時ミルク二〇シーシー、同日正午ミルクか糖水一〇シーシー、同日午後二時糖水一五シーシーをそれぞれ飲ませ(なお、同日午前一〇時にも糖水等を与えたが、同原告は全く飲まなかった。)、これとともに、アセチルロイコマイシンシロップ(クラミディア肺炎に対する特効薬であるが、大腸菌による髄膜炎や敗血症には効果がない。)を糖水等に混ぜて経口的に投与したが、その間、同原告の体温は、同日午前三時に三八・九度に上昇し、同日の朝になっても三八・五度の発熱が続いていたため、同日午前一〇時四〇分ごろチカルペニン一〇〇ミリグラムを筋肉注射により投与した。

7  一方、原告春子は、石田医師の診察後、同医師からの肺炎の心配はないなどの説明を受けたものの、原告兼忠と実家の両親に連絡し、実母と交替で原告賢一に付き添った。原告兼忠は、同日午前四時三〇分ごろ被告医院に到着した後、同日午前九時ごろ、原告春子の両親とともに被告と面談し、原告賢一を小児科専門の病院へ転院させることを話し合い、被告が転院先として挙げた数か所の病院のうち医療センターを希望するなどしたが、午前中は原告賢一の様子を見ることになったため、結局、同日の午後に至り同原告を医療センターへ転院することが決定し、被告が医療センターへの入院と搬送用の救急車を手配し、同原告は、同日午後三時四五分医療センターに入院した。

(原告賢一の医療センターへの入院時間について、被告は、原告春子に、専門的検査及び治療を必要とするため、小児の専門科のある病院へ入院させた方が良いと説明し、転院先の病院の名を挙げて希望を聞いたうえ、同日午前九時の医療センターの開始時間を待って、医療センターに電話で入院を依頼したところ、二時間足らず後に、医療センターから、ベッドの都合がついたので原告賢一を連れて来るようにとの連絡があり、救急車を手配して、被告医院から医療センターへ約二〇分で同原告を搬送し、同日午前一一時三〇分ごろ入院させた旨供述するが、〈証拠〉(医療センターの看護記録)には、同原告の入院時間が同日午後三時四五分であることが明記されているだけでなく、被告医院で作成した同原告の児表(〈証拠〉)に、同日午後二時糖水一五シーシーを同原告に飲ませた旨の記載があることに照らしても、被告の右供述は事実に反するものであることが明らかである。そして、被告の供述によれば、医療センターに入院の依頼をした後、医療センターから受入の連絡があるまでの時間は二時間足らずで、被告医院から医療センターまで搬送するのに要した時間は約二〇分であるというのであり、また、被告は、同日午前九時以前に医療センターへの転院を決定しながら、医療センターへの実際の入院時間が同日午後三時四五分になったことについて何らの説明もしないから、被告が同原告の医療センターへの転院を決定し、その手配をしたのは、右入院時間から逆算して、原告兼忠の供述どおり、同日午後に至ってからと認めるのが相当である。)

8  原告賢一が医療センターに入院すると、直ちに、担当の渡部創医師は、同原告に付き添って来院した被告及び被告医院の看護婦から、原告春子が出産時三五歳の高年初産婦であり、同年二月二五日午前六時に前期破水を生じたこと、原告賢一が同月二六日一時三〇分に在胎三五週五日、体重二三三〇グラムで出生したが、同年三月二日午後四時からミルクを飲まなくなり、元気がなくなり、血中ビリルビン量が一七・〇ミリグラム/デシリットルに上昇し、翌三日午前零時三八・五度の発熱があったこと等を聴取したうえ、原告賢一の全身状態を診察し、自発運動や刺激に対する反応が無力である、顔貌が苦悶状である、口周囲にチアノーゼがある、脈拍が不整である、呼吸が浅く、不整である、腹部の膨隆がある、四肢の運動が不活発である、吸啜反射が弱いなどの所見を得たが、右の診察結果と被告らから聴取した状況を総合して、原告賢一の感染症罹患を疑った。そこで、渡部医師は、同原告の胸部レントゲン写真を撮影し、その結果、肺炎を疑い、次いで、血液検査の結果(同原告の入院直後に血液検査を開始し、遅くとも二時間内に結果が判明していた。)により、血液が酸性に傾いていること、白血球数の減少と左方移動、血小板数の減少等が認められたことから、敗血症や髄膜炎等の重症感染症を疑った。そのため、更に、同原告の腰椎穿刺を実施したが、血性の髄液しか採取できず、(このため、同医師は、同原告の頭蓋内出血を疑った。)、髄液検査が不能であるため、これを培養するに止め、これと同時に重症感染症に対する治療を直ちに開始し、アミノベンジルペニシリン及びゲンタマイシンを静脈注射により投与した。また、黄疸についても、血中ビリルビン量の測定結果が一七・七ミリグラム/デシリットルであったため、光線療法を実施した。

翌日の同年三月四日になると、渡部医師は、発熱が低下するなど原告賢一の全身状態が好転し、白血球数も回復してきたので、投与した抗生物質の効果があり、これにより治療が可能であろうと考え、また、前日採取した髄液からグラム陰性桿菌が検出されたため、同原告が大腸菌による髄膜炎に罹患しているのではないかと疑ったが、再度試みた腰椎穿刺によっても髄液が採取できなかったため、髄膜炎の確定的な診断ができなかった。なお、血液培養の結果、同月四日同原告の大腸菌による敗血症の診断がされた。

9  ところが、原告賢一は、同月五日午前三時ごろから痙攣の発作が現われ、同日午前五時ごろ当直医の中沢医師が診察し、抗痙攣薬を投与するなどしたが、同日午前五時四八分ごろ呼吸停止及び心停止を起こし、気管内挿管、心マッサージなどにより蘇生できたものの、その後も痙攣発作が頻発し、呼吸状態も悪いため、人工呼吸器が装着され、呼吸管理と内科的治療が続けられるなど重篤な状態に陥った。同日同原告の脳断層撮影により左後頭部に出血の疑いが出たが敗血症のため外科的手術は見合わせられた。渡部医師は、翌六日同原告の交換輸血を実施する一方、感染症の専門医と相談のうえ、それまで併用していたアミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンが、耐性検査で感受性があるとされたにも拘らず、あまり効果がないのではないかと考え、ゲンタマイシンに替え、ホスミシン、セフメタゾンをアミノベンジルペニシリンと併用して(なお、同月一五日以降はホスミシンだけ)投与するなどしたところ、その後、同原告の状態は、次第に改善し、呼吸も安定して人工呼吸器が取り外され、元気を回復して、同年四月二五日医療センターを退院するに至った。なお、その間、当初連日の腰椎穿刺によっても困難であった髄液の採取に、同年三月一二日漸く成功し、採取された髄液から大腸菌が検出されたため、同原告の髄膜炎の診断が確定し、また、同月二二日ごろ、脳断層撮影により、当初出血が疑われた左後頭部に脳膿瘍が形成されていることが判明するなどしたが、同原告の病名は、最終的に脳脊髄膜炎、敗血症、脳膿瘍、脊髄炎と診断された(肺炎の疑いもあったが、確定できなかった。)。

10  原告賢一は、脳脊髄膜炎、脊髄炎による後遺症(以下「本件後遺症」という。)として、四肢麻痺、膀胱直腸障害、精神発達遅滞の機能障害が認められ、昭和五七年一〇月その症状が固定した。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  前記二で認定した事実を総合すると、原告賢一は、その出産に至る過程で、大腸菌による敗血症、髄膜炎に罹患し、更に、大腸菌が脳や脊髄の実質にまで侵入して脳膿瘍、脊髄炎を発症させ、そのため本件後遺症が発生したものと認めるのが相当である。

そして、〈証拠〉によれば、新生児の感染経路ないし時期については、経胎盤感染(母体の血中に入った微生物が血行性に胎盤を通して胎児に感染するもの)、経羊水感染(破水したことによって、子宮頸管、膣内、会陰部にいる微生物が上行性に羊水中に入り、胎児に感染するもの)、経産道感染(分娩中に子宮頸管や膣内にいる微生物がそこを通過する胎児に感染するもの)、水平感染(分娩時もしくは出生後に分娩の介助者、保育者、家族等が感染源となるもの)があり、そのうち経胎盤感染によっては大腸菌の感染が生じ難いこと、破水を放置すれば、二四時間後には組織学的に羊水感染が認められ、時間の経過とともに胎児が感染症に罹患する危険が増加することが認められ、他方、原告春子が前期破水を生じ、原告賢一を娩出するまで約三一・五時間が経過したこと、右破水の際、原告春子の肛門と会陰の間に便が付着していたことは前記二で認定したとおりであり、他に感染の原因となる事情を窺わせる証拠もないことを合わせ考えると、原告賢一の感染経路については、経羊水感染か経産道感染のいずれかであり、特に、経羊水感染の可能性が高いものと認めるのが相当である。被告は、医療センター転院後の頻回の腰椎穿刺が感染の原因であるかのように主張するけれども、後記のとおり原告賢一は、被告医院に入院中の三月二日に敗血症、髄膜炎の症状が現われていたというべきであり、また、渡部医師が同原告の転院直後に採取した血性髄液からすでにグラム陰性桿菌が検出されていることは前記二で認定したとおりであるから、被告の右主張は採用することができない。

四  そこで、原告らが請求原因4において主張する被告の過失につき検討する。

1  前記破水に対する処置の懈怠について

(一)  前記二で認定したとおり、原告春子が昭和五六年二月二五日午前六時ごろ妊娠三五週四日で前期破水を生じ、被告が同日午後二時四〇分同原告の前期破水を診断し、同原告の肛門周囲に便が付着しているのを認めるなどしたため、同原告に、クラモキシルの服用と入浴して外陰部を清潔にすること等を指示したうえ、帰宅を許したこと、同原告が被告の指示どおり入浴したことが認められ、その際同原告に発熱その他感染を疑わせる具体的な症状があったことを認める証拠はない。

(二)  〈証拠〉によれば、前期破水では、上行性の羊水感染が生じ、時間の経過に比例して母児が感染症に罹患する危険が増大するが、新生児、特に未熟児ないし低出生体重児については、感染症にかかり易く、直ぐに重症化し、死亡や後遺症を発生することが多いこと、他方、前期破水が生じた時期によっては、早期産による未熟児が出生し、子宮外生活が困難であったり、特に肺胞表面活性物質の欠如に起因して呼吸窮迫症候群に罹患し、死亡する児も多いこと、そのため、胎児の肺胞表面活性物質が十分産生され、子宮外生活能力が備わっているときには、できるだけ早く胎児を娩出して、感染を予防し、肺胞表面活性物質の産生が不十分で、子宮外生活が困難であるときには、胎児を母体内に留めてその発育を待つのを原則とするが、羊水中から細菌が検出されたり、感染の症状がみられた場合は直ちに胎児を娩出させる(但し、具体的な胎児娩出の時期については、妊娠三六週以後では、肺胞表面活性物質が十分できているので、直ちに分娩を誘発し、妊娠三五週以前では、毎日羊水を検査し、肺胞表面活性物質の形成、羊水中の細菌の有無を確認して胎児娩出の時期を決定するとするもの(〈証拠〉)のほか、児の出生体重が二〇〇〇グラム以上と推測され、破水して一二ないし一八時間を経過しても分娩が開始しなければ、分娩誘導を行い、出生体重が二〇〇〇グラム以下と推定され、分娩が開始しなければ、外陰の清潔を保ち、安静静臥して、発熱等の感染症状を厳重に観察しながら待期療法を行ない、羊水感染の症状が見られれば、できるかぎり早期に児を娩出するとするもの(〈証拠〉)等があり、一定しない。)という治療方針が、本件当時においても唱えられていたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかし、〈証拠〉によれば、前期破水に対する処置として、羊水漏出が持続しないときは、入院安静のうえ、母体の発熱もなく胎児の状態がよければ、羊水感染を防止するため、膣内細菌の感受性検査をし、これに応じた予防的化学療法を行いながら、経過を見るとするものもあって、必ずしも右の治療方針と一致しないし、また、右の治療方針を実施する場合には、胎児の成熟度と羊水感染の有無を調べるため羊水の検査等を行い、出生した未熟児を十分に看護しうる態勢が必要となるが、〈証拠〉によると、現状では、前期破水等の異常のある妊娠、分娩についても、一般の産科施設による管理が行われ、出生した新生児に異常があったときに新生児集中治療施設に送院されることが多いとされていることが認められるので、十分な医療設備の整った専門施設は別として、そのような設備のない一般の産科医院においても右の治療方針に従った管理を行い、母児に格別の異常が認められない場合にも、妊娠三五週四日の前期破水であるということから、直ちに分娩誘導を行う注意義務があったとはいえないというべきである。

(三)  被告が原告春子に入浴を指示して帰宅させた点についてみると、本訴訟に書証として提出された医学文献(〈証拠〉)中には、前期破水を生じた場合の入院の要否や入浴の適否につき直接触れたものは見当らないが、いずれも、羊水感染、未熟児出生、臍帯異常等を伴うことが多い前期破水に対する処置を論ずるに当り、入院を当然の前提とし、また、破水を起した妊婦の入浴を予想していないと解され、更に、〈証拠〉によれば、妊婦向けの解説書には、破水したら、直ちに入院すること、入浴は絶対にしてはならないことが明記されていることが認められる。すでに述べたとおり、前期破水に対する処置として感染の防止が最も重視されていることに鑑みれば、被告が原告春子に入浴を指示して帰宅させたことの相当性は疑問というべきである(被告の入浴の指示が外陰部の清潔を保持させるためであったとしても、同原告自身に入浴をさせてその目的を達することが相当であるかも疑問が多いし、現に、同原告が被告の右指示の趣旨を十分理解していなかったことは、同原告の供述から明らかである。)。しかし、前記のとおり、前期破水に対する処置としては、入院安静のうえ、胎児の状態が良ければ、予防的化学療法を行いながら経過をみるとするものもあり、被告が原告春子に抗生物質クラモキシルを投与していること(被告が右抗生物質の投与前に膣内細菌の感受性検査を行ったことは認められないが、〈証拠〉によれば、右抗生物質はアミノベンジルペニシリンと同様、原告賢一の感染症の原因菌である大腸菌に一般的に有効であることが認められるから、被告が抗生物質の選択を誤ったものとはいえず、右の検査を行わなかったことは結論に影響しない。)、同原告にはその後分娩に至るまで母児の感染を疑わせる具体的な症状が現れたことを認めるに足りる証拠がないことを合わせ考えると、被告が同原告を入院させたうえ、経過を観察していれば、原告賢一の感染が生じなかったとまでは認めることができない。また、安全性が明確でないものはできるだけ避けるという実際的な配慮から、破水後の入浴を禁ずるのが相当ではあるが、入浴により羊水感染が生ずる危険性の程度を明らかにする資料はなく、既述のとおり羊水の細菌感染自体は時間の経過に伴い不可避的に生ずるものであるから、原告春子の入浴により原告賢一の感染が生じたものとも断定することはできない。

(四)  以上のとおり、請求原因4(一)の原告の主張はいずれも採用することができない。

2  細菌検索及び厳重な経過観察の懈怠について

(一)  原告賢一が、原告春子の前期破水から約三一・五時間を経過した昭和五六年二月二六日午後一時三二分に、在胎三五週五日、体重二三三〇グラムで出生したことは前記二で認定したとおりであり、また、同原告の出生時から同年三月一日までの間、同原告や原告春子に感染を疑わせる具体的な症状が現われたことを認めるに足りる証拠はない(なお、〈証拠〉によれば、同原告は、三月一日昼に原告賢一に授乳した際、ミルクを飲む力が弱いように感じたというのであるが、哺乳量自体は次第に増加していたことに照らすと、飲む力の弱さが、未熟性によるものか感染によるものかは、いずれとも断定することができない。)。

ところで、未熟児の定義については諸説があって定まらないが、〈証拠〉によれば、原告賢一が在胎三七週未満の早期産児であり、かつ、出生体重二五〇〇グラム未満の低出生体重児であること、新生児が疾患その他種々の原因によって死亡する率は、満期産児(在胎三七週以上四二週未満で出生した児)で、かつ正規出生体重児(二五〇〇グラム以上四〇〇〇グラム未満で出生した児)が最低で、これと比べると早期産児で、かつ低出生体重児の死亡率は二一倍とされていること、したがって、早期産児や低出生体重児は、罹患や死亡の危険性が高いため、特別に厳重な監視の下に置き、症状が現れたら、直ぐ治療のできるような態勢が必要とされていることが認められるから、原告賢一は、未熟児であるかどうかはともかく、早期産児、低出生体重児として厳重な監視を必要としたものというべきである。また、〈証拠〉によれば、新生児、特に低出生体重児は、免疫機能が未熟であって、感染にかかり易く、しかも重篤な状態に陥り易いため、低出生体重児の看護に当っては、感染の予防が重要な目標とされていることが認められ、すでに述べたところから明らかなとおり、原告賢一が前期破水後約三一・五時間を経過して出生し、経羊水感染を生じた虞があることを合わせ考えれば、原告賢一は、出生時においてすでに、感染の危険を念頭に置いた厳重な監視が必要であったことも認められる。そして、〈証拠〉を総合すると、新生児の感染症は急性で重篤な経過をとり易く、早期診断、早期治療が不可欠であるが、臨床症状が乏しく、かつ、非特異的であるため、診断が難しく手遅れになり易いこと、したがって、臨床症状の観察だけでなく、児、母体、胎児付属物について種々の臨床検査を行い、早期に診断して治療を開始する必要が指摘され、破水後二四時間以上を経過している症例については感染を疑わせる何らの徴候を示さないとしても、細菌検索のための一定の検査を行った方がよいとする者もあり、現に大学病院等の専門施設では本件当時においてもそのような検査を行っていたことが認められる。

しかし、〈証拠〉によれば、専門施設では、破水からの時間の経過を考慮し、格別の徴候がなくても、児の胃内吸引物や血液等の検査を行うが、一般の産科施設では、児の状態がよく、羊水の混濁が認められなければ、右検査を行っていない可能性もあり、また、前記のとおり、前期破水等の異常のある妊娠、分娩が一般の産科施設で管理される場合、新生児に異常が現われたときに専門施設に送院されるのが現状であることが認められ、また、〈証拠〉によれば、新生児集中治療施設を有する専門施設が、一般の産科施設からの送院を受け入れる基準として、概ね二〇〇〇グラム未満の未熟児のほか、何らかの具体的な異常症状を呈する新生児とするものが多いことも窺われ、これらの事情を考慮すると、被告医院のような一般の産科施設において、新生児について感染を疑わせる具体的な症状が認められない場合にも、破水後約三一・五時間を経過して在胎三五週五日、体重二三三〇グラムで出生したことから、直ちに新生児、母体、胎児付属物から細菌を検出するための検査や感染症の診断、治療を自ら行い、あるいは、右検査、診断、治療に必要な設備の整った専門施設に転院させる注意義務があったとまでは認めることができない。

(二)  右に述べたところから明らかなとおり、被告は、原告賢一に対し、前期破水後約三一・五時間を経過して生まれた早期産児、低出生体重児として、出生当初から感染症を念頭に置き(前記二で認定したとおり、被告は、原告春子の前期破水を診断した際、同原告の肛門と会陰の間に便が付着し、羊水感染の虞があったことをも認識していたのであるから、原告賢一の感染の危険性については十分考慮すべきである。)、厳重な監視を行う注意義務があったところ、被告が、原告賢一に対し、出生後から三月一日までの間に行った看護は、被告医院での新生児に対する通常のものと格別異ならなかったことは、前記二で認定したとおりであり、被告が同原告の感染の危険を十分念頭に置いていたかどうかはさておき、右の期間中に同原告の感染を疑わせる具体的な症状が現われたことも認められないから、この間の監視義務の懈怠が、同原告の感染症の診断や治療を遅らせ、ひいては本件後遺症発生の原因になったとは認めることができない。

(三)  以上のとおり、請求原因4(二)の原告の主張も採用することができない。

3  治療開始の遅れについて

(一)  前記二で認定したとおり、原告賢一は、昭和五六年三月三日医療センターに転院した後、同日採取された血液の検査に基づき翌日には敗血症の診断を受け、また、同日に採取された血性髄液から翌日グラム陰性桿菌が検出され、更に、同月一二日髄液検査の結果大腸菌による髄膜炎の確定診断を受けたものであるが、右事実によれば、同原告は、右転院の時点で敗血症、髄膜炎に罹患していたものと認めるのが相当である。

ところで、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 新生児の敗血症は、極めて稀であるが、未熟児が罹患し易く、分娩異常や蘇生術等は敗血症の頻度を増すのであり、経羊水感染、あるいは、種々の局所の感染が発展したもので、大腸菌、ブドー球菌が主な原因菌であり、髄膜炎を伴うことが多く、その予後は、死亡率が高く、不良である。敗血症の症状としては、元気がない、哺乳力が弱い、皮膚の蒼白、体重不増加、発熱又は低体温、呼吸障害、チアノーゼ、嘔吐、腹部膨満、下痢、黄疸等が認められ、診断に当っては、血液培養で菌を証明することが重要で、髄膜炎を伴うことが多いので、髄液検査も必須である。原因菌の種類に応じた強力な抗生物質療法、輸血等の治療が行われる。

(2) 新生児の細菌性髄膜炎は、稀なものであるが、敗血症とともに新生児感染症の中では最も予後が悪く、死亡率や知能遅滞、脳性麻痺等の後遺障害の率も高い。分娩前は羊水から、分娩時には産道内で感染し、また、局所感染症に続発することが多い。その原因菌はグラム陰性桿菌が過半数を占め、特に大腸菌が多く、敗血症を伴うことが多い。その症状としては、初期に特異な所見はなく、敗血症と同様に体温低下又は発熱、哺乳力低下、無力、蒼白、嗜眠、呼吸障害、腹部膨満、嘔吐等を認め、過敏、痙攣、眼球異常運動、大泉門膨隆をみることもあるが、髄膜刺激症状は普通認められない。その診断としては、早期診断が重要で、髄液検査で原因菌の検出が可能であり、髄液所見が診断の決め手になるが、敗血症を伴うことが多いので、血液の細菌培養も必要であり、敗血症と同様、原因菌の種類に応じた強力な抗生物質療法を行う。

(3) 一般に、新生児の感染症は、成人のそれのように明瞭な症状を示さず、非特異的かつ乏しい臨床症状がその早期診断を困難にしているが、一般所見として哺乳力の低下、体重の不増加、嗜眠性あるいは不安状態、皮膚の蒼白等が持続するときは、必ず感染症を考慮する必要がある。何となく元気がない、顔色がよくない、哺乳量が少ないなどはっきりと病的とは言い切れないような状態であって、母親や看護婦の印象として健康でなさそうだという程度に過ぎないときでも、まず敗血症、髄膜炎等の感染症を疑い、直ちに血液培養等の諸検査を行う必要がある。この段階で診断され、治療が開始された細菌性髄膜炎であれば、後遺症なく治癒することが多いが、痙攣や後弓反張等の明らかな神経症状が現れてからでは、死亡、あるいは後遺症の頻度が高い。

(4) 感染症に罹患した新生児を救命するだけでなく、後遺症がないように治療するためには、早期に疑診し、早期に治療を開始する必要がある。新生児感染症の診断は、最終的には血液、髄液、膀胱穿刺尿等から原因菌を証明することにより達成されるから、敗血症等の合併が疑われた場合には、ためらうことなく直ちに、血液、髄液、膀胱穿刺尿等の検体を採取し、検体の培養等による病原検索を行わなければならないが、新生児の場合、培養の結果を待って治療を開始する余裕はなく、培養のための検体を採取した後、直ちに抗生剤を投与する(なお、一度抗生剤が使用されると、検体から細菌を検出することが困難になることがあるので、検体の採取は、抗生剤を投与する前に行わなければならない。)。敗血症、髄膜炎、肺炎等の重症感染症に対しては、原因菌が判明するまでは、アミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンの二者併用を経静脈的に行うのが原則であり、原因菌が判明したら、その菌の感受性に応じた抗生剤を投与する。

(5) 以上の新生児感染症に関する知見は、本件当時において、小児科専門医だけでなく、産科医の一般的知識でもあった。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  前記二で認定したとおり、原告賢一は、昭和五六年三月二日午前一〇時ごろの看護婦の観察により、前日より黄疸が強く認められ、また、哺乳力や元気についても、前日までのプラスと異なるプラスマイナスの評価を受けたが、更に、同日正午の授乳時のミルクの飲み方が悪く、強制的に三〇シーシーを飲ませたものの、同日午後四時にはミルクを全く飲まず、その後も哺乳力の不振が続いたこと、同原告の黄疸と哺乳力の低下を伴う右のような症状は、同日午後四時ごろには、被告が同原告を桜林病院に連れて行き、血中ビリルビン量を測定したものの、原因が解明できないため、経過観察を必要とすると考えさせるようなものであり、右事実と先に述べた新生児の敗血症、髄膜炎の症状及び前記二で認定した同原告のその後の治療経過を総合考慮すれば、同原告の敗血症又は髄膜炎が同日午前一〇時ごろには発症し、遅くとも同日午後四時ごろには、その症状として黄疸、哺乳力の低下を伴った何らかの異常を感じさせる状態、即ち、前記のとおり、はっきりと病的とは言い切れないが健康でなさそうだという新生児の敗血症、髄膜炎を疑うべき症状を呈していたものと認めるのが相当である。そして、先に認定したとおり、同原告は、前期破水後約三一・五時間を経過して出生した早期産児、低出生体重児として、感染症を念頭に置いた厳重な監視が必要であったことや前述の新生児の敗血症、髄膜炎に対してとられるべき診断、治療の方法に照らせば、被告は、遅くとも同日午後四時ごろ被告が同原告を桜林医院に連れて行くことを考えたときには、同原告の敗血症、髄膜炎を疑い、直ちに細菌検出のための検体として血液、髄液等を採取した後、アミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンによる強力な抗生物質療法を開始するか、自らこれをすることができないときは、新生児集中治療施設等必要な検査、治療設備を備えた専門施設に同原告を転院させる注意義務があったというべきである。なお、〈証拠〉によれば、本件当時において、低体重児や未熟児でなく正常な新生児であっても、黄疸が強い、発熱、低体温、哺乳力がない、何となく元気がないなどの症状のあるものを収容の対象として運営されていた新生児集中治療施設の実例が報告されており、同原告がその収容対象に含まれることも、右の転院義務を肯定する根拠となると解すべきである。

(三)  以上の事実によれば、被告は、同日午後四時ごろ前記のような同原告の症状を認識しながら、敗血症や髄膜炎を疑わず、直ちにこれに対する検査、治療を開始せず、あるいは、医療設備の整った専門施設に同原告を転院させなかった過失があったというべきである。そして、前記二で認定したとおり、被告は、翌三日午前零時に同原告の発熱を認めて感染症を疑ったものの、小児科専門医の石田医師に往診を依頼し、その指示に従い、少量の糖水もしくはミルクを約一時間毎に与えて水分を補給し、これとともにアセチルロイコマイシンシロップを投与したが、その後も同原告が解熱しないため、漸く同日午前一〇時四〇分ごろチカルペニンを投与し、更に、同日午後三時四五分同原告を医療センターに転院させたものであり、被告の右のような診療経過は、先に述べた新生児の感染症に対する診断、治療方法を著しく逸脱するものというべきであり、右事実は、同原告が医療センターに転院した当日、渡部医師が行った前記認定のような診断、治療方法と対比しても、明らかである。

(四)  なお、前記二で認定したとおり、原告賢一は、三月三日医療センターに転院すると、直ちにアミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンの投与が開始されたが、同月五日午前三時ごろから痙攣発作等が現われ、急激に症状が悪化し、重篤な状態に陥ったため、同月六日からはアミノベンジルペニシリン、ホスミシン、セフメタゾンが投与されるようになり、同月一五日からはホスミシンだけが投与され、漸く治癒するに至ったところ、右事実によれば、仮に同月二日午後四時ごろからアミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンが投与されたとしても、結局、同原告の疾患を治療することができなかったのではないかとの疑問がないではない。しかし、同原告の原因菌の耐性検査ではアミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンの両者とも感受性が認められ、同月四日には同原告の発熱が低下するなど症状の改善がみられたこと、同月五日同原告の脳断層撮影により左後頭部の出血が疑われ、後にそれが膿瘍であることが判明したことも前記二で認定したとおりであり、これに、ホスミシンが組織の奥深く浸透して効果を発揮する薬剤であるため、脳膿瘍を合併した同原告の疾患の治療に有効であったとみられること(この事実は〈証拠〉により認められる。)を合わせ考えると、アミノベンジルペニシリンやゲンタマイシンも、同原告の敗血症、髄膜炎に有効であったが、その症状が進行し、原因菌である大腸菌が脳や脊髄の実質にまで侵入したため、右の抗生剤によっては治療できなかった可能性、言い換えれば、同月二日午後四時ごろアミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンが投与されていれば、同原告の敗血症、髄膜炎の症状が脳や脊髄の実質にまで進行することを防止でき、同原告に本件後遺症のような重篤な障害が生じなかった可能性がある。したがって、被告が専ら同原告の診療を管理し、本来なされるべき適切な時期に治療を開始しなかった過失がある以上、本件の具体的事情の下では、右の時期に治療を開始したとしても本件後遺症の発生を防止できなかったことを立証しない限り、被告はその責任を免れないと解すべきである。

(五)  しかし、すでに判示したところによれば、もともと新生児の敗血症や髄膜炎の予後は著しく不良であるうえ、原告賢一の場合にはこれに脳膿瘍や脊髄炎を合併するという通常と異なる経過を辿り、必ずしもその合併の時期が明らかでないから、被告の責任の範囲に属さないと解すべき右の事情も加わって、本件後遺症が重篤化したことも認められるから、損害の衡平な負担の原則に基づき、この点を考慮すると、被告は、本件後遺症により原告賢一が被った損害のうち、その三分の二について責任を負うと解するのが相当である。

五  そこで、原告らの損害について検討する。

1  〈証拠〉によれば、原告賢一は、昭和五六年四月二五日医療センターを退院した後も、本件後遺症のリハビリテーション等のため、同年五月から昭和五八年三月まで医療センターに、また、昭和五六年七月から現在に至るまで埼玉医科大学付属病院にそれぞれ通院しているが、四肢の麻痺により、独力で起立、歩行ができず、食事、入浴その他の日常の起居動作も困難であること、膀胱直腸障害により自力で排泄することも排泄を伝えることもできず、原告春子らが時期を見て手で押し出して排泄させる状態であり、昭和五六年六月以降熊谷総合病院に二か月に一回の割合で尿毒症予防のため通院していること、精神発達遅滞により言葉は殆ど話せず、極く限られた言葉しか理解できないため、熊谷総合病院に通院し診察を受けているが、精神発達の程度は昭和六一年九月当時で一歳ないし一歳半の段階に止まっており、今後も三歳程度にしか発達を見込めないこと、以上のような本件後遺症のため、原告賢一は今後も生涯にわたり日常生活の全般について両親である原告春子、同兼忠や他人の介護を必要とすることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  原告賢一は、右1に認定のような本件後遺症の状態に照らし、稼働可能と考えられる満一八歳から満六七歳の間を通じその労働能力の全部を喪失したものと認められるから、本件後遺症がなければ右稼働可能期間を通じ昭和五七年賃金センサス第一巻第一表、企業規模計、学歴計の男子労働者全年齢平均賃金の年間合計額三七九万五二〇〇円と同額の年間平均収入を得られたものと推認できるので、右の額を基礎としてライプニッツ方式により年五パーセントの割合による中間利息を控除して、右稼働期間中の逸失利益の現価を算出し、これに前記四3(五)で判示した被告の責任負担割合である三分の二を乗ずると、次の算式のとおり一九〇九万九九七六円(円未満切捨)となることが算数上明らかである。

3,795,200×(0歳の就労可能年数67年の係数19.239-0歳の就労不能年数18年の係数11.690)×2/3=19,099,976

3  原告賢一がその生涯にわたり介護を要することは右1で認定したとおりであるから、その介護費用としては、平均余命の七三年間(昭和五六年簡易生命表による。但し、小数点以下切捨)を通じ一日平均三〇〇〇円をもって相当とし、これを基礎としてライプニッツ方式により年五パーセントの割合による中間利息を控除して、生涯の介護費用の現価を算出し、これに前記の被告の責任負担割合である三分の二を乗ずると、次の算式のとおり、一四一八万五三六〇円となることが算数上明らかである。

3,000×365×73年の係数19.432×2/3=14,185,360

4  原告賢一の慰謝料としては、本件後遺症の程度、被告の過失の態様、その他本件口頭弁論に現れた一切の事情を勘案し、六〇〇万円をもって相当と認める。

〈証拠〉によれば、原告兼忠、同春子が、原告賢一の両親として、同原告が本件後遺症のような重大な障害を受けたことにより、耐え難い精神的苦痛を受け、同原告の将来に対して常に不安を抱き続けざるをえないことが認められ、その他本件口頭弁論に現われた一切の事情を考慮すると、原告兼忠、同春子の慰謝料としては、各三〇〇万円をもって相当と認める。

5  弁論の全趣旨によれば、原告らは、昭和五九年七月二三日原告ら訴訟代理人らに対し、本件訴訟の提起及び追行を委任し、相当額の弁護士費用を支払う旨を約定したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。ところで、本件事案の内容、訴訟の経過、本件損害認容額、その他本件に現れた一切の事情を勘案すれば、被告の不法行為と相当因果関係のある弁護士費用の額は、原告賢一について二〇〇万円、原告兼忠、同春子につき各三〇万円をもって相当と認める。

六  原告兼忠、同春子は、被告との間の診療契約の債務不履行による損害賠償請求権をも選択的に主張するが、仮に右請求権が認められるとしても、右五で認定した額と異ならないことは、以上の説示から明らかである。

七  以上の次第であるから、原告賢一の本訴請求は、被告に対し、四一二八万五三三六円及びこれに対する不法行為の日の後であって同原告の請求にかかる昭和五六年三月四日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告兼忠、同春子の本訴請求は、被告に対し、各三三〇万円及びこれに対する不法行為の日の後であって同原告らの請求にかかる昭和五六年三月四日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、いずれも理由があるからこれを認容し、原告らのその余の請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 荒井九州雄 裁判長裁判官 佐藤榮一、裁判官 岸日出夫は転任につき署名捺印することができない。裁判官 荒井九州雄)

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